袖井林二郎さん逝去
丸木美術館の元理事長で政治学者の袖井林二郎さんが2月10日に逝去されました。92歳でした。
袖井さんは1970年から71年にかけて、「原爆の図」の初めての米国巡回展の実現に尽力されました。
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写真は1970年12月、ニューヨークのニュースクール・アートセンターでの「原爆の図」展。
右端の男性が袖井さんです(左端が丸木位里、中央が丸木俊)。
アメリカ展については、何度も何度もいろんな人が計画してくれたんだが、なかなか実現しないでいた。それが、袖井林二郎さんが、袖井さんは早稲田を出てアメリカの大学を出て、長い間アメリカにおった人で、ずい分いろんな知り合いもあるんで、そんなことから、その話をつけてくれたんだ。
(中略)展覧会はその後一年半にわたって、アメリカ合衆国をずっと巡回してもらってから、絵は帰ってきたんだが、ベトナム戦争の最中に、アメリカの人が命がけで原爆の展覧会をやってくれたこのことは、大変なことであったと思う。その頃の青年であった袖井さんは、いまは丸木美術館の理事長をしてもらっている。
—『丸木位里画文集 流々遍歴』より抜粋、岩波書店、1988年
その後も袖井さんは、2006年まで理事として丸木美術館を支えて来られました。
丸木美術館草創期を知る方がまたひとり亡くなられて、寂しいです。
袖井さん、たいへんお世話になりました。どうもありがとうございました。