企画展終了
開催日:2016年3月19日(土)~6月18日(土)
原爆の図はふたつあるのか
丸木夫妻は、1950年末頃に米国で《原爆の図》を展示したいとの依頼を受け、作品が紛失したときのためにと、当時アトリエに寄宿していた濱田善秀や若い画家とともに三部作を「模写」(再制作)しました。
結局、渡米直前に不安を感じて断りましたが、それらの作品(仮に「再制作版」と呼ぶことにします)はその後、《原爆の図》の全国巡回展が盛況になり、同時に複数の場所から依頼が来るようになると、「本作」と同様に各地で頻繁に展示されます。
《原爆の図》巡回展を手伝った大学生によると、作品がオリジナル(仮に「本作」と呼びます)と異なることに気づいた学生たちの間で、「再制作版」を展示することに対して、ちょっとした議論が起きていたそうです。「小説と違って画家は絵を印刷できないのが悩みだ」「ピカソが《ゲルニカ》を模写して展示するなんてありえない……」。俊も、「絵の前で冷汗を流しながら、言葉だけはだんだんはげしくなっていくのです。絵で感じられない感動を言葉で伝えようとするのでしょうか」と苦悩を記しています。
一時は、作者自身が「門外不出」にした時期もありましたが、1974年に丸木美術館栃木館(栃木県岩舟町)が開館すると、丸木夫妻は加筆し、「本作」と異なる独自の表現の《原爆の図》として栃木に送り出します。そして1996年の栃木館閉館にともない、「再制作版」は広島市現代美術館に寄贈されました。
従来知られる「本作」とともに《原爆の図》として扱われながらも、やがて異なる数奇な道を歩んだ「再制作版」。もちろん巡回先では、「模写」や「再制作版」と断って展示したわけではありません。当然、絵を観る人たちの反応も、「本作」とは変わりませんでした。
今展では、広島市現代美術館の協力を得て、この「ふたつの原爆の図」をならべて比較するという、これまで試みられたことのない展示を行います。「本作」と同様の役割を果たした「再制作版」は、ただの“影武者”だったのでしょうか。それとも「本作」とは別の、独立した作品なのでしょうか。
「原爆被害を伝える」という社会的使命を担った作品における「再制作」の意味とは何か。「模写」を「加筆」した作品の、オリジナリティはどのように考えるべきなのか。こうした問題は、たんに《原爆の図》だけにとどまらず、芸術表現の根源に迫る機会になるのかもしれません。
(5月中旬より、兵庫県立美術館への貸出のため、「本作」(丸木美術館蔵)の第1部《幽霊》は複製展示となります)
【第2部:原爆の図の周辺と1950年代】
4月16日(土)~6月18日(土)
《原爆の図》再制作版の展示に合わせて、初期《原爆の図》制作の前後に描かれた丸木夫妻の人体デッサン(原爆の図丸木美術館と広島平和記念資料館所蔵)を展示します。また、当時の巡回展にかかわった峠三吉やヨシダ・ヨシエの肖像スケッチをはじめ、関連資料を紹介します。
また、第2部会期中を通して、1950年代はじめの《原爆の図》制作と全国巡回展の様子を記録した貴重な映画『原爆の図』(1953年公開、新星映画社、岩崎昶製作、今井正・青山通春監督、モノクロ17分)を上映します。
主な出品作品
丸木位里・丸木俊ほか《原爆の図 第1部 幽霊》 1951年頃 広島市現代美術館蔵
丸木位里・丸木俊ほか《原爆の図 第2部 火》 1951年頃 広島市現代美術館蔵
丸木位里・丸木俊ほか《原爆の図 第3部 水》 1951年頃 広島市現代美術館蔵
【第2部:原爆の図の周辺と1950年代】
丸木俊《峠三吉氏像》 1950年 広島市中央図書館蔵
丸木俊《ヨシダ・ヨシエ氏像》 1950年 原爆の図丸木美術館蔵
丸木俊《原爆詩集装幀案》 1952年 広島市中央図書館蔵
丸木位里・丸木俊《原爆の図 八月六日》 1950年 広島平和記念資料館蔵
丸木位里・俊《原爆の図のためのデッサン》98点 原爆の図丸木美術館・広島平和記念資料館蔵
会期中のイベント
1950年代幻灯上映会
○4月23日(土)午後2時 上映後、トークセッション開催
一般1000円・18歳以下500円 (入館料別途)
協力:神戸映画資料館
出演:鷲谷花 (早稲田大学演劇博物館招聘研究員)、 片岡一郎 (活動弁士)ほか
1950年代、幻灯(スライド)は、手軽に上映できて自作も可能な融通性の高い映像メディアとして、原水爆禁止運動 をはじめとする社会運動の場でも盛んに活用されていました。この時期、映画、演劇、写真、文学など、さまざまな分野の専門家が幻灯製作に関わり、それぞれの職能を活かしたユニークな作品の数々を創作しました。今回の幻灯上映会では、記録写真、人形劇、そして彩色画による幻灯3本を、フィルムと幻灯機によって上映します。幻灯が社会運動の中で担った多様な役割と、個々の作品としての多面的な魅力を再確認するとともに、世界的に活躍する活動弁士片岡一郎氏の口演により、幻灯のライブ・パフォーマンスとしての面白さも体験できる機会となるでしょう。
※本プログラムはJSPS科研費15K02188「昭和期日本における幻灯(スライド)文化の復興と独自の発展に関する研究」(研究代表者:鷲谷花)の助成による。
【上映作品紹介】
ゆるがぬ平和を―8.6原水爆禁止世界大会記録―
1955年/製作:原水爆禁止世界大会準備会/脚本・構成:古志峻/協力:原爆被害者の会、八・六世界大会共同デスク、日本幻灯文化株式会社、関西幻灯センター/フィルム提供:神戸映画資料館
1955年8月6日に広島市にて開幕した第一回原水爆禁止世界大会の記録。第二回以降とは異なり、第一回大会に際しては記録映画が製作されなかったため、本作は映像による貴重な報告資料となり、当時関西幻灯センターが製作した幻灯の中でも、特に売れ行きが好調だったという。
せんぷりせんじが笑った!
1956年/原作:上野英信/美術:勢満雄/撮影:菊地利夫/製作:日本炭鉱労働組合/配給:日本幻灯文化社/脚本改訂:上野朱/上野朱氏所蔵のオリジナルプリントから作成したニュープリントを上映
上野英信の文、千田梅二の版画による原作『せんぷりせんじが笑った!』は、まず1954年にガリ刷りの私家版(『えばなし せんぷりせんじが笑った! 他三篇』)として刊行され、翌55年に柏林書房の「ルポルタージュシリーズ 日本の証言」の一冊として新書版が刊行された。日本幻灯文化社が手がけた幻灯版では、精巧に作られた人形とミニチュアセットによって、中小炭鉱の労働者の生活 と労働がリアルに再現されている。
ピカドン 広島原爆物語
製作年不詳 文・絵:赤松俊子、丸木位里/製作:プロダクション星映社/提供:日本光芸株式会社
1950年8月に赤松俊子・丸木位里の発表した絵本『ピカドン』の幻灯版。1952年前後には完成したものと推定される。幻灯版は、原作絵本のモノクローム画を彩色して映像化しており、また、場面の削除や順序の入れ替え、テキストの変更など、かなり大きな独自改変が加えられている。
活動弁士 片岡一郎
2001年、日本大学芸術学部演劇学科を卒業し、2002 年に活動写真弁士の第一人者である澤登翠に入門。現在は国際的に最も活躍している弁士である。これまで講演した国はアメリカ、ドイツ、クロアチア、オーストラリア、チェコ等。日本の伝統的なスタイルを踏襲し、弁士の芸術を現代に伝えている。これまでの演じた無声映画は約300作品。弁士の他にも声優や文筆などで活動している。