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東京新聞寄稿「ウイルス禍と文化」

2020年6月9日『東京新聞』夕刊「ウイルス禍と文化」欄に、岡村幸宣学芸員の寄稿が掲載されました。

 誰もいない展示室で「原爆の図」を見ていた。
 埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館。「原爆の図」を常設展示するために画家の丸木位里、丸木俊夫妻がみずから創設した美術館である。
 五月五日は五十三周年の開館記念日。例年は出店がならび、講演会やコンサートが催され、来館者でにぎわう。しかし今年は静かな一日。新緑はまぶしく、小鳥のさえずる声ばかりが響いた。
 新型コロナウィルス感染拡大の影響により、四月九日から美術館の扉は閉ざされた。丸木美術館には行政や企業からの出資がない。開館以来、多くの人の寄付と入館料に支えられ、独立した運営を続けてきた。どこからも「自粛要請」は来ないので、開館を続けるかも自主判断となる。


 九年前の春、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の後は、開館を続けた。計画停電で電気が来なくても、天窓から光は差す。丸木俊の言葉を借りるなら「一日に一人でも」、絵を観たい人がいれば扉を開くのが美術館の基本理念だ。実際、こんなときだから「原爆の図」を観たい、という人はいた。その人たちのために美術館を開けた。
 しかし今回は、美術館を開くことが感染につながるかもしれない。命を想えばこそ、命を想う美術館を閉じるという苦渋の選択。
収入がなくなるのは厳しいが、開館を続けたとしても運営の困難は変わらないだろう。それより絵を大切に思う人たちが守り続けてきた場を、一時とはいえ閉ざす決断が重かった。


 九年前の震災と原発事故が科学技術の限界を露呈したように、現代医療も万能ではないと思い知らされた。しかし歴史を遡れば、人は古来、戦争や疫病に、繰り返し苦しんできた。明日が今日と同じ平穏とは限らない。そんな当然のことを、いつから忘れてしまったのだろう。
 「不要不急」という言葉に悶々とした。文化は爛熟の時代だけのものではない。どんなに厳しいときにも、人は表現を手放さなかった。心をえぐるような痛みや、鋭い社会批判を通して世界の本質に近づき、記憶することも、芸術の大切な役割のひとつである。


 休館中、希望の兆しも見えた。若者が中心になってオンラインの寄付システムを立ち上げ、緊急支援の輪が拡がったのだ。幅広い世代、そして国外からも次々と寄付が送られてきた。誰もが大変なときなので心苦しかったが、「美術館には行けないが、そこに絵があることは必要」といった声に励まされた。
 政治はうんざりするほど腐敗し、排外主義は年々強まる。いまも続く原発事故の影響はもちろん、台風や猛暑などの災害も頻発している。天災と人災の区別が、ますますわかりにくい時代。
 「原爆の図」は、七十五年前の原爆の惨禍を描いた絵画だ。報道規制があった占領下に全国を巡回し、隠された記憶を人びとに伝えた。しかし時代とともに絵の意味は変わる。絵そのものは変わらないが、観る人の関心や意識が変わる。


 「3・11」の後、「原爆の図」の余白に存在したはずの不可視の脅威が、現代と重なった。世界規模の疫病流行の渦中で観る「原爆の図」にも、新たな視点が加わるかもしれない。そして人と人がつながり、築き上げてきた「公共」の場としての丸木美術館の重要性も、この機会に再考し、次代へ手渡していきたい。
 六月九日、丸木美術館の扉は再び開いた。私たちの目に「原爆の図」は、どのように映るだろう。そして位里の母、丸木スマが七〇歳を過ぎて描いた、生きるよろこびに満ちた絵は、どれほど輝いて見えるだろうか。


(岡村幸宣=原爆の図丸木美術館学芸員・専務理事、近著に『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011-2016』)

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